ゴーストダンスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ハロウィンとは全く関係ありませんよ。
ゴーストダンスというのは、白人たちが行ったインディアンへの浄化政策に対してインディアンが信じた教えの1つです。
ここではそんなゴーストダンスについて解説します。
ウーンデッドニーの虐殺について
1890で12月29日、サウスダコタ州のウーンデッドニーにおいてスー族への民族浄化政策が行われました。
これを行ったのは米軍の第7騎兵隊であり、彼らは虐殺を実行したということで名誉勲章まで与えられています。
しかしこれはインディアンたちにとってはインディアン戦争の象徴になっています。インディアンたちはほとんどが武器は持っておらず、その司法から米軍たちによって銃撃されていたのです。
無差別銃撃はものすごい勢いで、命あるものを手当たり次第になぎ倒していたと考えられています。
赤ちゃんを抱いた女性まで銃撃され、乳飲み子たちも殺害されました。
無差別銃撃について
アメリカ軍たちは赤ちゃんたちにも何度も銃撃を浴びせ、殺害していきました。
この虐殺によりインディアンは300人近くが命を落とし、その遺体は大雪の中、三日間放置されたと言われています。
1891年1月1日、埋葬隊が派遣され、民間人のアルバイトによって遺体一人当たり2ドルの手間賃で穴の中に投げ込まれて行きました。
死者の数に関しては虐殺された側であるインディアンと虐殺した側であるアメリカ政府では食い違いが生じています。
ゴーストダンスについて
このゴーストダンスというのは西武のインディアンたちの間で流行したものであり、ゴーストダンスという幽霊踊りを踊ればインディアンたちの自由な世界とともにバファローたちが草原に戻ってくるという信仰を指しています。
そして「これを着れば白人の銃弾を受けても大丈夫」と信じられていたゴーストシャツを着るように言われていました。
虐殺が収まることによってこのゴーストダンスは下火になっていきますが、ゴーストシャツを着用した状態で銃弾を受けた女性は医師からシャツを脱ぐように言われ、「銃弾を受けても大丈夫だと言われたからこれを着ていたのに、銃弾を受けるなんてこのシャツはいらない」と答えたと言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
アメリカ政府によってインディアンに対しては様々な浄化政策が行われていましたが、虐殺が行われたというのも痛々しい歴史の1部です。
そしてそんな歴史の中でゴーストダンスという信仰が流行していたというのも興味深いですよね。